北米の中西部の春は遅く、今年は5月でも霜が降る朝を経験しています。それだけに、風薫る緑の季節の到来は人々に高揚感をもたらします。
そのような信仰者の気持ちが高まるはずのペンテコステを、今年は、例年とは違い、静かに過ごしておられる方がほとんどでしょう。ただ、考えてみれば、あの最初のペンテコステの日に、弟子たちもまた、期待だけではなく、緊張感と戸惑いが入り混じった思いの中で集まり、祈り続けていたのではないでしょうか。
そこに、自由に吹く風のような聖霊が、弟子たちの集った空間を揺るがし、満たし、あふれるように「炎」のように現れてくださいました。弟子たちは、聖霊に満たされ、状況に翻弄され、周囲の意見に従属する者ではなく、新しい状況を生み出し、周囲を変えていく者として立ち上がりました。また、聖霊により、それまで考えもしなかった、多文化の人々が共存する信仰共同体が生み出されました。
この時、集うということの大切さを改めて感じます。私が牧師をしている地域には、日本語での礼拝や集まりをしている群れが点在しています。車で数時間かけて、ひと月に一度か二度、そのような各地の集まりを訪問しています。行く先々で参加者の方々と食事を共にしながら、時には宿泊させて頂いて家庭集会を守っています。集う方々にとり、日本語で語らい、賛美し、食卓を囲むひと時は、何よりの憩いの時です。
私たちの教会は、そのような遠隔地の方々も視聴できるように、既に3年ほど前からオンラインの集会をしており、礼拝全体をビデオ中継でインターネット配信しておりました。ですから、今回のような事態になり、すぐに礼拝場所を信徒宅に移動して、機材を持ち込んで礼拝の配信を始めることができました。これまで日本語教会のモデルケースが無かった地域で、どのように教会形成をしたら良いのか模索し、皆で祈って始めたオンライン方式が用いられました。、、、、、、
2020年5月31日号掲載記事